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語堂正範
2025年2月22日
JR松江駅前にて「竹島の日街頭演説」参加、記念式典(式典・講演会)に出席
島根県が条例により「竹島の日」を定めてから20周年となります。
午前中はJR松江駅前にて「竹島の日街頭演説」に参加。
竹島は日本固有の領土であることを訴えさせていただきました。

午後からは「竹島の日」記念式典(式典・講演会)に出席。


その後、竹島資料館にて「竹島に関する問題についての説明及び意見交換」に出席。大変学びの多い日となりました。
竹島の日の由来
竹島は日露戦争中の明治38年(1905年)1月に閣議決定を経て、2月22日島根県知事が島根県編入の告示を行い、正式に日本領土となったことに由来します。
これ以前にもイギリスやドイツなど西洋諸国の地図に「ホーネット島(=竹島)」と呼称され、日本の領土であると認識されていました。
竹島が不法に占拠されたのは戦後、日本がアメリカの占領下にあった1952(昭和27)年に韓国大統領 李承晩が一方的に李承晩ラインを設定し、44人の日本人を死傷させた上、3929人を強制連行して竹島を占拠。このまま現在に至ります。
また、鳥取県民としては竹島に関連して中井 養三郎 氏の活躍を忘れてはいけません。
明治38年(1905年)の島根県編入にあたり、鳥取県倉吉市出身の中井養三郎 氏は明治36年(1903年)からアシカ猟のために竹島へ渡っており、領有権などを明確にするため明治37年(1904年)日本政府に領土編入と貸下げ願い(※)を届け出ました。これをきっかけに明治38年(1905年)の閣議決定に至ったという経緯があります。
※ 明治37(1904)年「りゃんこ島領土編入並ニ貸下願」を外務省、内務省、農商務省に提出、翌年には仲間と「竹島漁猟合資会社」を設立し竹島でのアシカ猟を展開した。
中井 養三郎 氏について
島根県「竹島は島根の宝 わが領土」
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